らむね的通販生活: 2016年10月

orange.jpg

2016年10月13日

資生堂CM放映中止の件についての、2つの思いと、テレビとウェブのメッセージについて

資生堂CMの放映中止が話題になっている。私も実際に見てみたが、放映中止に追い込まれるほどのものではないかなと正直思った。しかし、以前、騒動を巻き起こしたルミネのCMと同様、非常に女性にとって痛いところをついているからこその、クレームだろう。正論だからこそ、言われたくない。少なくともミカタだと思っていた企業には。

 今回の件は、女性をターゲットにしたメッセージの難しさを浮き彫りにしている。「不愉快である」と女性たちが声を上げることについて、そこまでカリカリしなくてもという思いと、きちんと声をあげることを厭わなくなったことに頼もしいなと言う思いと。2つの思いがある。私達が新入社員の頃はパワハラやセクハラにも、名前さえなくて、随分いろんなことを我慢してきたしそれを当たり前と思ってきた。しかし、それを私達の世代は自慢げに話してはいけないのではとも、思い始めている。

男性社会であった企業に女性に門戸が開かれ、私たちは男性ルールの中で当然のように働いてきたが、それを当たり前と思わない女性たちが出現し、不愉快なことに不愉快であると声を上げ始めたことは、非常に愉快なことではないか。少なくとも、自分たちがメインターゲットの商品のコマーシャル・メッセージが不愉快であれば、それに異を唱えることは、当然の権利かと思う。

 それに加えて、今回の騒動では非常に気になることがあった。「25才はもう女の子じゃないんだよ」というメッセージ、ウェブのバナー広告であれば何の問題もなかったのではないだろうか。実際、ウェブ広告のバナーでは、罪悪感や劣等感を刺激するようなバナーで溢れていて、私もついクリックする。

 年齢や体重を具体的に出した化粧品やダイエット食品の広告、忙しくて料理ができないことを刺激する惣菜キットの広告、思わず、クリックする商品とはそういう、罪悪感や劣等感、こうなりたいという自分と離れてしまっていることへの未満感。そういう感情をいかに刺激するかが、ネットでものを売るときは非常に重要になってくる。

 自然とクリエイティブも、そういう「劣等感・罪悪感・未満感」に、ささるものになっている。そして、ウェブやスマホの、閉じられた自分へのプライベートメッセージだからこそ、ささっていることが他人にしられず、安心して反応することができるのだ。

 ただ、テレビCMとなると、やや様相が変わってくる。テレビは一人での試聴が相当増えているだろう。しかし、まだリビングで家族で見ることも少なくない。ちょっと前の「小泉今日子 48歳」のCMは、私が一人でテレビを見ているときには「すごいなー、可愛いなーキョンキョン、同い年だよ(笑)」と、共感と羨望で気持ちよく見ていたものが、家族と見ていると一転。「キョンキョン、ママと同い年?違うねー」と家族による公開処刑タイムとなってしまう。

 最近では、仕事もして家事もしてというキリンの「のどごし」のCMが結構ささる。一人で見ているときは、応援として素直に受け取れるのに、家族で見ているときは、「がんばってるのはママだけじゃないじゃん」的な冷たい視線を感じてしまう。素直じゃないなぁ、考えすぎだよ、と思われるかもしれないが、もう十分頑張ってる私にとっては針の筵的なものには敏感なのだ。ウェブでのメッセージのスタイルを、テレビなどのメッセージに持ち込むのは多少危険で、デリケートすぎるような気もするのだ。テレビでは、ささりすぎないことも重要なのではないだろうか。

 クリエイティブが作りにくいという声もずいぶん上がっている。そうだろう、いいと思って作ったものが難癖をつけられる。でも、オヤジ目線でいいと作ったものを、今まで女性たちは黙って受け入れてきたとも言える。また、多様化が進み、女性と一言で言っても、結婚しているか、仕事の有無、子供の有無、さまざまな考え方ライフスタイルがある。全ての女性に最適化されるクリエイティブは難しいだろう。だから、せめてターゲットである女性たちがクリエティブの現場にいるべきなのでは?

 そして今、女性たちは、もっとがんばれ的な応援臭に含まれる啓蒙臭・説教臭には、本当に敏感なんだと思う。「もっとがんばれ」というよりは、そのままでいいよ、たまにはリラックスと、やさしく囁いてくれるメッセージはないものか。そういうメッセージをいただけたら、その企業のものを買いますよ。いや、買わないか。でも、炎上したり、ミカタだと思っていた感をなくしたら、元も子もないと思うんだよね。

 テレビCM。ささりすぎにはご用心、だと思います。

blank_space
カテゴリー別アーカイブ
blank_space
月別アーカイブ
blank_space